こころと脳科学 カウンセラーコラム①(弘田)

臨床心理士が働く現場でのカウンセリングは、現場の性質や相談者側のおかれている状況やニーズに応じて、あるいはカウンセラーの人間観や支援に関する理論的背景の違いなどがあってさまざまです。私は、その人が自らの経験を語りながら自分や他者についての認識を新たにする(洞察や気づきと呼ばれている)ことによって抱えている生きづらさの感覚を変質させるという作業だと考えてきました。その歩みのなかに意味を見出してもらうことがまず重要になります(治療契約と治療同盟の成立)が、対話は人と人が相互に関係するなかで行われるので、お互いの期待どおりとはならずに「おや?」という経験をすることも避けられません。こころは、快・不快とそれから派生する感情や思考などをとりまとめる活動をしていますので、こころを持つ以上この「わからなさ」に耐える必要があります。

脳科学の進歩は、人の記憶、思考、情動などの心的活動とその結果としての表情や行動にともない脳のどのような部位が活発に動いているか、そしてそのときにどのような物質が代謝されているのかということを明らかにしてきています。わたしたちの心の状態と関係する脳の活動とその活動の物質的なメカニズムが明らかになることにより、そのときどきの代謝を制御する物質の開発も加速することになります。それら物質によって不眠やイライラ感などをはじめとする都合の悪い状態が解消されればそれに越したことはないですね。便利で結構なことですが、こうした脳内物質の働きこそがわたしたちのこころの活動を「司っている」というような紹介のされ方がされるとき、ちょっと待ってと言いたくなります。

脳科学によって明らかになってきていることは、わたしたちのこころの活動とその派生物である行動が脳のどのような働きと関連しているかということ、つまり同時並行的な事象に光を当てた相関関連なのです。そのどちらが時間的に先立っており結果に対する原因の関係にあるか、つまり因果関連を導くものではないのです。たとえば、ある人の言ったことに腹が立って図らずも怒鳴ってしまい、そのあとひとりになってなにもかもいやになって落ち込んだという場合を考えてみましょう。腹が立ったという感情体験、怒鳴るという表出、そしてそのあとの落ち込みという状態と脳内代謝物質の量的、質的変化が相応するとしても、腹をたてるのは、相手の言葉、相手とのそれまでの関係という脳の働きとは関係のない刺激を受け止めた結果です。脳内活動はわたしたちのこころのはたらきを「司っている」のではなく、こころの活動に「付随している」のです。

「わたし」というものは、物質的な活動に還元できない意味ある経験をまとめながら世界に反応しています。経験によって蓄積された関係期待(予測)、欲望に応じて体験を解釈し、どう行動するかを決めています。生きている主体は、夏目漱石の「草枕」の冒頭の有名なくだりにあるように葛藤を引き受けるしかないのです。それを抱えて生きる「こころ」を尊重するのがカウンセリングだと私は考えています。

臨床心理士 弘田洋二(OMCIカウンセリングルーム)

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